高梨沙羅 父は幻のジャンプ名選手? 父画像はコレ! [父]
スポンサーリンク
高梨沙羅 父は幻のジャンプ名選手?
高梨沙羅選手の父の寛也さんがジャンプ選手の道を歩いていたら、
名選手になっていたかもしれませんね。
http://sportswood.info/archives/219
父親の寛也さんは小・中学生の頃、北海道上川町にある上川小学・中学校
ジャンプ少年団で、長野五輪男子スキージャンプ金メダリストの原田雅彦と
一緒だったそうです。
父の寛也さんは、原田雅彦の1年先輩なのだとか。
この頃は地元での能力評価は、父の寛也さんの方が原田雅彦よりも
上だったそうです。
その後寛也さんは日体大でスキー部に所属し、ジャンプ選手として研鑽を
積むのですが、卒業後選手としての道を歩まなかったようです。
原田雅彦より評価が高かった寛也さんが、ジャンプ選手としての道を選んでいたら、
オリンピックに出場した選手として有名になっていたかもしれませんね~。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■高梨 寛也(たかなし・ひろなり)さんのプロフィール
1968年(昭43)1月13日生 46歳
北海道上川町出身
*上川小・中学ジャンプ少年団で、1年下の長野五輪団体金メダリスト
原田雅彦と一緒に練習する。
日本体育大学卒業生
*日体大在学中にフィンランドスキー留学
------------------------------------
現在上川町で焼肉店経営
上川小・中学校ジャンプ少年団を指導運営
2013年5月クラレ発足のクラブチーム監督
高梨沙羅 ジャンプ少年団を復活させた父!
高梨沙羅選手がスキージャンプに目覚めたのも、父の寛也さんの
経験が生かされた独自の英才教育が大きいようですね。
高梨沙羅出身地の北海道上川町は、人口4000人の町。
http://ken2-jousyasatsuraku.blog.so-net.ne.jp/2013-10-08
この上川町には北海道でも珍しい、20メートル級と40メートル級の
ジャンプ台があるのだそうです。
当然子供たちがジャンプを学ぶ、ジャンプ少年団が存在。
父親の寛也さんは子供の頃ジャンプ少年団で、長野五輪スキージャンプ
団体金メダリストの原田雅彦と一緒に練習に励んでいたのですね。
このジャンプ少年団は、指導者がいなくて休止状態になっていたそうです。
それを復活させたのが、高梨沙羅の父の寛也さん。
寛也さんは上川ジャンプ少年団の指導者に就任し、4歳年上の
兄の寛太さんも入団。
2人の同級生も入団したのですが、高梨沙羅はクラシックバレエをやっていたので、
最初の頃はやらないと言っていたそうです。
でも高梨沙羅はジャンプ台の周りで雪遊びしながら、お兄さん達の
練習を見ていたのですね。
http://www.sankeibiz.jp/gallery/photos/140113/gll1401130900000-p8.htm
ジャンプの練習が楽しそうに見えたのでしょうか。
そうして高梨沙羅は小学2年生の時、父に直談判しジャンプを始める
ことになるのです。
高梨沙羅 父は名コーチ?
少年団での寛也さんの指導はスパルタ教育だったようです。
ジャンプ着地瞬間のシミュレーションのために行ったトレーニングは、
体育館の舞台の上にとび箱と椅子を重ねて、マットを敷いた床にうつ伏せで
ダイブするというもの。
子供たちの多くは恐怖で姿勢を崩し、着地に次々と失敗したとか。
顔面を強打する子たちも。
高梨沙羅は、このトレーニングをすぐにクリアしたそうです。
寛也さんの話ではトレーニング目的は、”高いところから落下する際の恐怖を
なくすこと、飛行中の姿勢を安定させること。”にあるそうです。
上川ジャンプ少年団での夏季練習も、高梨沙羅にとって大きかった
みたいですね。
http://n-jinny.com/3267.html
上川町にはローラースキー用ジャンプ台があり、高梨沙羅は夏に練習を
繰り返すことで、踏み切りのタイミングの正確さを身につけたそうです。
高梨沙羅のジャンプの活躍は、このような父の寛也さんの基礎訓練の上に
あるのですね。
だから沙羅選手にとって、父親の寛也さんへの信頼はとても篤いとか。
2013年W杯第8戦は、父親の寛也さんの誕生日と重なった日。
”優勝を父にプレゼントしたかった”と語った高梨沙羅は、逆転勝利し
大喜びしたそうです。
その姿を見た娘を持つお父さん達、すごく羨ましがったみたいですね~。
スポンサーリンク
タグ:高梨沙羅 父
2014-06-28 21:22
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0